2020年07月02日

そろそろ・・・

ごぶさたしてます。さとしです。
ブログ更新間があいてすいません。

実は6月11日に私の実の父が永眠しまして、実家の島根へ行き葬儀や手続等でばたばたしてしまい、帰ってからは修理やコロナ関係の手続きなど終え燃え尽きました。無気力でした^^;
ちょっと父の事について話させてください。
私の父は島根県の隠岐の島という離島で郵便局員として勤めていました。
僕が子供の頃は町会の子供会の役員を行ったり、土日になると地域の手伝いをするような、息子の私が言うのもなんですが周りから慕われる真面目な人でした。
真面目な一方、私が小学校の頃お風呂から出ると「わっ!」と驚かせて喜ぶようなお茶目な人でもありました。
そして私は小さいとき学校でいじめにあっており、友達もほとんどいないなか、土日に一人家にいる私に
「釣り行くか?」と夕方になると誘ってくれる優しい人でもありました。釣りをしていると父との楽しかった思い出がよみがえってきます。
私が釣り好きになったのも父の影響ですね。そんな父が大好きでした。

そんな父が10年前に盲腸、腹膜炎を患い、その後その傷が悪化して癌化。父は島の病院で癌だから本土の病院で精密検査するようにと本土の病院に通っていたのですが当時の主治医が1年間ほど見つけられない状態でした。見かねてセカンドオピニオンを行った時は腸の一部が機能しておらず、ほかの部位への転移後、悪性リンパ腫へ。なぜ見つけられなかったのかと総合病院の当時の主治医に聞こうとしたのですが、病院側はあわせてくれませんでした。別に文句を言うわけではなく状況を聞きたかっただけだったのに。その後度重なるガン治療を行い、ガンは治りましたが、薬の副作用で間質性肺炎という病気になってしまいました。この病気は肺が繊維化して機能しなくなっていく病気で、治る見込みはなく持って5年という難病です。
なった時はちょっと息がきれやすいかな?程度だったようですが、毎年帰省で会うたびにどんどん弱っていく姿は息子として寂しいものでした。何より本人が一番悔しかったと思います。なにせ町会の役員をやったり有名ランナーがくる隠岐島マラソンではランナーのための休憩所を作るのを楽しみにしていた人ですから。そして私や孫と釣りができないこともとっても寂しそう、悔しそうにしていました。
今年の初めくらいからは自分で立つことも大変になり4月になるとほぼ寝たきり状態に。
亡くなる3時間前は兄の息子と話をしている動画が送られてきて明日はline電話しようと母に伝えていたのですが、残念ながらそれはかないませんでした。
闘病中は息苦しくとっても辛そうにしていました。死後の世界があるかどうかはわかりませんが、もしあるのなら昔のように色々な事に取り組めるように息苦しさから解放されていれば良いと願っています。


さて、湿っぽくなってしまいましたが、これからはまた以前のように元気に店番、修理はもちろん、ブログあげたりYouTube動画作ったり頑張っていきます。
また残された父は早田清のみなので元気でいられるように横からちゃちゃ入れていきます(笑)
posted by さとし at 23:39| Comment(2) | 日記